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武器について

優れた物語システムには押し並べて「垂点」とでもいうべきアイテムが存在します。膨大な物語がその垂点に収斂し、またその垂点から物語のすべてが再生していきます。「失われた時を求めて」がマドレーヌの香りから呼び起こされる物語であったように、あるいは「スターウォーズ」のイメージの一切がライトセイバーに収斂するように。

武器について
ハンターの世界
明日へ架ける橋(習作)1
明日へ架ける橋(習作)2
英雄の証・前編
英雄の証・後編

モンスターハンターにおける武器はその垂点としての完成度に達しようとしていた、と思います。数年狩りから離れた人も「ハンターナイフ」という一言を聞くだけで、夜ごと日ごとの狩りの日々を思い出すことでしょう。ガンナーだったならば「アルバレスト」と聞くだけで、もう一度狩りの地に立ちたくなるでしょう。それは紅蓮であったり、バベルであったり、そのハンターのスタイルごとに様々でしょうが、「そのような武器」が成立していたのがモンスターハンターというゲームでした。それは、このシリーズが持っていた核心のひとつであったと思います。

これは感傷的な話ではありません。

記号は単体では意味をなさず、適切な文脈の中において意味を「得る」。優れた記号が優れた文脈におかれれば、それは実体に近接する存在感を発します。かつて、ゲーム中の武器の名前を「覚えている」などということは(少なくとも中の人には)ありませんでした(ミリタリーゲームなどにはある話ですが、それはそもそも実物があります)。しかし、モンスターハンターにおける「お気に入り」の武器は、従来のゲームの枠をはるかに超えた「実体感」を実現していたと思います。

それは「相棒」という言葉を使って差し支えないほどのものであったといえるでしょう。
特殊なヴァーチャルリアリティ技術や、引き写された実体(フィギュアなど)なしに、モニタとコントローラという直接的とはいえないインターフェース越しに、単なる3Dグラフィックとしての「記号」がその存在感を獲得していたのはひとつの驚異でした。

モンスターハンターにおける狩りの体験は、象徴的にひとつの武器の中に収斂し、またその武器を通してある一人のハンターの物語の一切が開始される。そのような意味においてモンスターハンターの武器はまさにこのゲームの核心でした。

MHP2ndにおける武器

さて、「〜でした」とか「であったと思います」とか意図的に過去形の表現を用いた通り、MHP2ndでは、この「象徴としての武器」のありようがかなり揺らいでいます。定番となっていたいくつかの武器は消滅し、あるいは最終段階においてコレクターズアイテムのように出てくる、という感じになってますね。代わりに膨大に追加された武器には、かつての「相棒」と呼べるほどの存在感がまったく感じられません。

端的に言いましょう。この措置は時期尚早でした。
この措置がとられた理由として最善の解釈は、MH3においてこれまでのモンハンの象徴性を乗り越えようとする野心的な試みの布石、というものであるでしょう。最悪の解釈はこれまでの武器の象徴性が開発陣の重荷になっている、というものです。後者であるならば、お話はここまでです。シリーズの持つ最強の核心のひとつをこのゲームは失ったことになります。目先の品揃えの多さでライトユーザーの目を惹こうなどという試みは、他の凡百のゲームが皆やっていることですね。では、前者であったとしたら、どうか。

「いろいろな武器を使ってほしい」とは開発陣が再三繰り返している台詞ですが、「いろいろな武器を使う自由」が「ひとつの武器を極める自由」を殺して成り立っては本末転倒です。間口を広めることと奥行きを狭めることは同義ではないはずです。MH3に続く布石として奥行きを殺してでも間口を広げようとした、ということであるならば先の記述にもどって「では、文脈はどうなのか」を考える必要があります。

MHP2ndの文脈は、どう見ても初代において確立された文脈の継承、あるいは枠内にあるものです。その文脈の中に、ありようを変えたアイテムをおいたらどうなるか。当然かつてのアイテム(記号)の持つ実体感は失われ、記号と文脈の乖離した死に体が残るでしょう。これはもう奥行きを狭めるどころの話ではありません。文脈に変更の加えられなかった今作においては、間口を広めるためのアイテムの追加は良いとしても、文脈に適合していたアイテムの削除は行うべきではなかったのです。

ゲームバランスとは

さて、何をゲームごときにくだくだ言ってんだ、とお思いの方も多いでしょうが、話はここで終わりません。

とかく「ゲームバランス」が話題となるこのシリーズですが、モンスターハンターにおけるゲームバランスの核心はモンスターの強さ(弱さ)、武器の強さ(弱さ)的なパラメータ云々の次元にはない、と考えます(もちろん表現形としてそれは重要なのですが)。

アルバ改でGクラスに挑んでいたガンナーは、自らゲームバランスを崩していたと言えますが「マゾ」だからそうしていたのではないです。自分と自分の「相棒」がどこまでいけるのか、それを見たかったから挑んだのです。この「自分−相棒(武器)」関係の密接さが壊されないかぎり、敵の強弱は二次的な問題でしかない、と思われます。ここに、このゲームが初代から継承してきた「奇跡的なゲームバランス」の鍵があると思います。

武器がバランスの核心に位置しうる理由、それは、この文章の冒頭にある通り、そのような「存在感」のあるアイテムならば、何度もの失敗を含む狩りの体験のすべてを「垂点」として収斂させ「物語」にすることができるからです。これを可能にするアイテムがなければ、その行為は単なる苦痛の集積として散在するにとどまります(この現象は早くもMHG〜MHdosで見られました)。

MHP2ndが「薄い」と評される理由は、モンスターが弱いからでも装備が作りやすすぎるからでもなく、その過程を収斂させる「垂点」が不在であるから、だと思います。
ま、逆に言えばこの垂点を自分で設定してしまえば楽しめるわけなのですが(ここに救いがありますね)。パラメータのバランスが致命傷であるならば、ユーザ側にできることはほとんど無くなっちゃいますし。
いずれにせよ、以上の議論がマトを射ているとするならば、次回作において(MHFとなるのかMH3となるのかはともかく)現行の開発陣が問われるものも明確になってくると思います。

すべてのハンターに相棒を。

相棒になれない数十の武器は相棒になれるただひとつの武器に劣ります。やるべきことは苦労を軽減させる武器の乱発ではなく、苦労を「収斂」させるただひとつの武器のデザインです。
開発陣がそこを見失っていないことを祈りつつ、今回はこの辺で。

※上の文章中の「物語」とは、「位置づけられ、パッケージングされた一連の経験(記憶)」という意味合いで、別段叙情的なものは意味していません。

付記
この一文はMHF以前に書かれたものです。
で、MHFではどうなったのかといったら…正直言って「一つの武器」への思いを成就できるものからはほど遠くなってると言わざるを得ないですね。
われわれは、もっともっとモンハンへの取り組み方を工夫し、示していかなきゃならないと思います。愛すべき相棒たちのためにも。

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